卒業生インタビュー#2 海老原光さん(指揮者、42期)

投稿日:2010年3月29日|投稿者: hara

海老原 光(えびはら・ひかる)さん1974年、鹿児島市生まれ。87年、ラ・サール中学校に入学。ラ・サール高校、東京芸術大学音楽学部を経て、同大学院修了。2003年、ハンガリー国立歌劇場(ブダペスト)に留学。2004年から2006年まで東京シティ・フィルハ-モニック管弦楽団指揮研究員。2007年第4回 ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクール にて日本人として歴代最高位となる第3位を受賞。2009年5月、第15回 ニコライ・マルコ国際指揮者コンクール にて第6位を受賞。これまでに国内外のオーケストラに多数客演。2010年、かごしま県民第九演奏会(12月19日)の指揮者に決定。

音楽の森川先生とは腐れ縁

 ラ・サールでは、勉強はとにかくできませんでした。中学校に入った最初の試験で成績は真ん中より少し上。これだけ頑張ったのにこんなものかという気持ちもありました。でも、あれだけしか勉強しなかったのに意外といけるじゃないかという気持ちがだんだんとまさったんですね。それからは低空飛行で進級はいつもぎりぎりでしたね(笑)。

 音楽を志したのは高校2年生の夏休み、家族会議を開いた時からです。東大は無理でも2~3浪したら早慶には行けるかもしれない。でも、法学や文学、教育学などを学ぶ自分がピンと来ませんでした。唯一ピンと来たのが音楽でした。

 母は東京芸術大学を出ていて鹿児島の短大でクラリネットを教えていました。僕も5歳からピアノを習っていました。10歳くらいになると、母が「ピアノでは一生独りで音楽をやることになるからオーケストラに入れる楽器を」と勧めるのでピアノをやめました。

 それでラ・サールの森川諄一先生にチェロを習いました。ところが、ある時、森川先生の演奏に「先生、音程が違います」と言っちゃたんです、小学生が。「馬鹿野郎、出て行け。お前はクビだ」と怒鳴られて。それからバイオリンを始めて。MBC(南日本放送)付属のジュニアオーケストラにバイオリンで入ったら森川先生がチェロでいらして、腐れ縁ですね(笑)。そのオーケストラにはラ・サールに入った後も中2までいました。その後は楽器からは遠ざかっていました。

 でも、ラ・サールに行った時点で音楽の道には行かないと思っていました。中2でオーケストラを離れてからは音楽活動もやっていませんから、家族会議でも、なんのためにラ・サールにとなりますよね。

 調べてみると楽器演奏はずっとやっていないと難しいけれど、音楽史を教えたり、論文を書いたりする楽理科ならば、英語と国語、それにセンター試験の選択科目を一つ頑張ればいいことが分かりました。音響学にかかわる物理、音楽史にかかわる世界史か日本史の3教科から一つ。それで英語と国語と物理の3教科をしっかりやって東京芸大の楽理科に行こうと決めたんです。

 高2から高3への進級は、それまで以上に危なかった。それで赤点だった教科の先生がたに直談判したんです。「僕は東京芸大しか受けません。国語と英語と物理はしっかりやって必ず合格しますから他は見逃してください」とね。

 数学の小村英弘先生には、授業に出席していたら「いいから図書館へ行け。ピアノ弾いてろ」とおっしゃっていただきました。高3の12月、最後のテストで英語の成績優秀者の一覧表の下のほうに名前が載って、ああ海老原も本当に勉強を頑張っていたなと先生がたに認められたのが嬉しかったですね。現役で東京芸大に入学しました。

 楽理科に入学したものの、2年目には、どうも違うなと思い始めました。もともと机にじっと座っていられないタイプですから。それで指揮者を目指そうとしたのですが、1回はあきらめました。こんなに厳しい世界なのか、と。結局、指揮者になろうと腹をくくったのは28歳、大学院修了が近いころのことでした。

指揮者になるため単身、ハンガリーへ

 指揮者になろうと決めて、ハンガリーに留学しました。でも、先生も見つからないままの留学です。誰かいい先生がいないのか、演奏会に出かけては探しました。そこで出会ったのが、国立歌劇場の音楽監督を務めるコヴァチ・ヤーノシュさんでした。ハンガリーでは知らない人がいない指揮者です。彼が劇場に入るのを待ち伏せして、頼み込んだんです。

「日本から来たのだけれど、あなたの指揮を見て勉強したい」

「僕は教えていないから音楽院に行ったほうがいい。それに忙しいからレッスンはできない」

「レッスンはいいからリハーサルを見せてほしい」

 彼はしばらく考えると、歌劇場のパスを渡してくれました。

「僕は“顔パス”だから、このパスで入りなさい。時間がある時はディスカッションしよう」

 指揮者として食べていけるようになったのは、2年前からです。それまでは親から仕送りをしてもらっていました。聞いてくださいよ、今年の1月からは、親に仕送りができるようになりました(笑)。

 指揮者には学校の先生から小澤征爾さんまでランクがあります。去年の3月、東京都交響楽団の指揮をしました。NHK交響楽団、読売日本交響楽団とともに御三家とされるオーケストラで、ここを指揮すれば一人前と言われています。指揮者として認められていくためには、いかにいいオーケストラを振るか、が問われます。指揮者には自分で演奏する楽器がなく、いわばオーケストラが楽器だからです。

 世界的なコンクールは若い指揮者にとって一番手っ取り早い“免許証”です。僕は2007年に第4回ロブロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで日本人として歴代最高位となる第3位を受賞、2009年5月に第15回ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで第6位を受賞しました。

 僕の場合、2つ目のコンクール入賞を境にプロのオーケストラから話が来るようになりました。入賞は人から評価された証です。複数のコンクール入賞という客観的な評価を目にして初めて、オーケストラもこの指揮者を演奏会に呼んでみようかとなるわけです。もちろん、受賞暦だけで指揮者としては認められない。指揮者が難しいのは、音を出してくれる人がいないと意味がないことです。人柄、仕事の雰囲気、リハーサルの持っていき方、本番での舞台の作り方、観客とのコミュニケーション…。

 僕はこの4月に36歳になります。オーケストラはほとんど先輩ばかりです。いかに皆のイニシアチブをとりつつも敬意を払い、間違いをただしつつも、その方のプライドは殺さないで…。指揮者に、こうふるまえばうまくいくというマニュアルはありません。「僕の人柄だったら人とどう接していけるのか」「自分はどういう人だろう」と気にするようになってオーケストラとうまくやっていけるようになりました。

 表情や動き、それに間。観客が息を継げない間を作るのは指揮者にしかできません。空間と時間を支配して意味を作るのが指揮者です。観客に意味を見出してもらえるように、自ら音楽の意味をつかんで音を出す人にも意味を伝えていく。年齢や性別など客層によっても演奏中の雰囲気は違います。その雰囲気を察知して音楽を動かしていく。常に先を読みながら出てきた音を聞きながらそこから修正して次のイメージを作る時間芸術です。

好奇心の強さ、知ることの喜びはどの高校や大学よりラ・サールがもっているスピリット

 プロフィールにラ・サールのOBと書いていますので、ひとさまの目に触れるようになってから、「僕もラ・サールなんだよ」という卒業生にお目にかかることが増えました。「ラ・サールがここでも頑張ってるのか」、「お前やるじゃないか」と、面白がってくださる。そんな方は、「充実して仕事をしているな」と、こちらにも分かります。ラ・サールのつながりで有利になろうというのではなく、お互いが勇気づけられる。それを実感できますね。

「指揮棒って、どこで売ってるの?」

「最初に聞いたメロディーが後に出てくるのはどうして?」

「前から3列目のお姉さんは姿勢が悪いけど、あれっていい音が出るの?」

「(トランペットのつば抜きを指して)あれは何をしているの?」。

 クラシック音楽に関係のない方をコンサートにお誘いすると、「よく分からなかったけれど面白かったよ」と言われることが多いのですが、ラ・サールのOBからはよくこんな質問が出ます。全く知らないジャンルなのに自分なりに楽しんでいる。こちらが解説したら次回来た時に「あそこのオケではこうだったよ」と、知らないジャンルで話が盛り上がる。これがラ・サールの面白さだと思います。

 大学生のころ、家庭教師のアルバイトをした時、モノが分かるということに対して僕らは喜びを持っていたんだなと驚きました。成績が上がることは大事ですが、教え子は意外と分かる喜びをもっていない。我々どんなに成績が悪くても勉強は好きだった。好奇心の強さ、知ることの喜び、ひいては人と接する喜び、生きることの喜び。どの高校や大学よりラ・サールがもっている。僕にとってのラ・サールのスピリットはそれですね。

『卒業生インタビュー#2 海老原光さん(指揮者、42期)』のコメント:3件

  1. 小坂@鹿30期

    私たちが在校していたころには、
    「ラ・サールOBは『野人』と言われることが多い。」と聞かされました。洗練されていないとか、蛮力があるということでしょうか?
    海老原さんは音楽という洗練された世界で御活躍中ですが、ハンガリーで先生に弟子入りするあたりのエピソードには、「野人」のにおいを感じます。是非小さくまとまらず、大物への道をひた走っていただきたいと思います。益々のご活躍祈念いたします。

  2. 橋元太郎

    42期(海老原君の同期)の橋元と申します。
    海老原君の演奏会が都内で行われる時は、よく同期どうしで声をかけあって鑑賞に行きます。
    終わった後、彼を囲んでの打ち上げでは、さまざま音楽の話しをしてもらえるので、門外漢の私たちもすっかり詳しくなってきました。
    ラ・サールOBの仲間が、自分たちとは全く違った分野で一生懸命努力し、活躍する姿に刺激をいただいています。
    これからも益々の活躍を期待しています。

  3. 四本忠彦

    42期の四本です。お久しぶりです。
    海老原君の活躍は、以前持原君や橋元君達から聞いていました。僕はいまだ島根の片田舎におりますが、同級生の活躍を聞き及び、遠い地よりエールを送っています。機会があれば会いたいですね。今後益々のご活躍を祈っています!

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